会長からのラブレター


H30年盛夏号 No.36

偉そうな事を云って申し訳ありません。
現在の日本ほど「若さ」を宝もののように考えている国はないのではないかと思う。
老いる事は弱くなる事、老化とは人間の価値が低下する事と考えている人が多いのではないでしょうか。
70歳の人間は50歳の人間より劣る、と。
私はそうは思わない。
人間の持っている力の1つの体力は確かに落ちる。
しかし総体の力として胆力、能力、判断力、断行力は失敗を乗り越え、真剣に積極的に生きる事により成長し質的に高まっていると思うのだ。
昔「あいつはまだ若い」と言うのは褒め言葉ではなかった。
老齢となり、病に苦しむ人も多かろう。
昨日まで出来た動作が不自由になる事もある。
しかしその渦中、大きな気づきを得ているはずだ。
生かされている有難さと人生の意義について考えるようになる。
「貯えと年金で働かなくても食っていける」と趣味や道楽で日を過す人もいる。
冗談ではない、働くために食うのだ。
傍を楽にするための働きのエネルギーとして食事が必要なのだ。
40年も前「老後は趣味に生きたいという人がいるようだがそれは愚劣だ」
ロケット博士として有名な糸川秀夫さんの言葉に出会った。
「何故か!趣味というのはその人の人生の主要な目標のアクセサリーだ。
趣味に没頭し自分だけの人生に沈潜する生き方は創造的とはいえない。
世の中と関係を保ち自分のライフワークを貫くべきだ」
糸川博士自身、バレエも踊りチェロも楽しむ、マルチ人間と云われたが組織工学の大家として世を導いた。
創造的に生きるとは難しい事のようだが、私は単純に周りの人に喜ばれる働きを考え実行する事だと思う。
「頭を使えば使うほど良くなる」というのが常識となってきたが70代の5人に1人が認知症という。それもうなぎ上りだ。
暴論だと叱られそうだが気楽にノホホンと生きていては人間失格。危ういのだ。

 

H30年早春号 No.35

子供の頃から剽軽だった私は三田という姓のためか学生時代のアダ名は「三太」。

70を過ぎた今でも昔の友と会うとそう呼ばれてお互い悪ガキだった時代に戻れる。
この2月在京の高校時代の友に連絡すると三人集まって宴を開いてくれた。
それも「花の銀座」で。

学生時代の思い出話に話が咲き近況を語り美味しく食べて笑いあって飲む。
生涯現役、生かされている間は働く。
傍を楽にするんだという私のホラ話をほほえみながら聞いてくれる。

仕上げはカラオケ、各々の個性に年輪を重ねた味のある歌が続く、終了。
後ろ髪を引かれる思いで再会を約して別れ、その時の写真を送ると御礼の電話とその日は体調がイマイチだった友から、「朋あり遠方より来る、亦楽しからずや」と始まる手紙が届いた。

「楽しく愉快な一夜だった。サンタの笑顔で元気になれた。」と書かれていて末尾に
「体に気をつけて元気にやってください。生きていればまた会えるからな。大雪にも気をつけて」
嬉しくて涙が出そうになった。

岩見沢東高時代の友と

岩見沢東高時代の友と

 

H29年師走号 No.34

明治16年11月29日鹿鳴館で日本で初めての舞踏会が開かれた。
そしてこの日をダンスの日として全国各地で愛好家たちがダンスを楽しむ。私もダンスファン「なにしろ中央区ダンスサークルの会長さんなのである。(エヘン)笑」

今年は11月26日豊平の北海きたえーるで500人ほどの人が集まった。
そして踊りを楽しむ中にプロダンサーのデモンストレーションやサークルの発表もある。私はこの日、車イスダンスの方達の応援に会場へ行った。

私も不思議なご縁だなと思うのだがきっかけは3ヶ月前友人が身体に障害のある人たちのダンスのお手伝いをしているのを知ったことから始まる。不自由な体であってもダンスを楽しみたい人達がいる。そしてそれをお手伝いする彼。彼に気高いものを感じた。

エライなと思った。よし私もお手伝いしようと。そして不思議なことはお客様から車イスの相談がありネットを調べているうちに札幌に車イスダンスサークル”ハーモニー”を知った事である。

ユーチューブで動画を見て感心させられた。すぐに連絡をし練習風景を見、お話を聞いて更に感動した。

お手伝いのメンバーに男性が1人もいないので腰が引けそうになったがお手伝いする事を決めた。ただダンスの日の発表が近づいていてそのフォーメーションが完成間近であったので学びとお手伝いは翌月からとなった。

そして本番。華やかなドレスを纏い美しい音楽で生き生きと踊る。見ている私は涙が出そうになる。広い会場の多くの人から大きな拍手が沸いた。

来年は私も車イスの方と華麗に踊るんだ!

指導される千葉先生

指導される千葉先生