思えば幸福なことだ。七十半ばを過ぎて未だに中学校のクラス会ができるとは。
尤も再開できたのは15年前から。コロナ禍のため3年お休みがあったが今年は開かれた。

年に一度会えば「◯◯◯ちゃん」の連発、ジィサン、バァサンがそう呼びながら笑顔で集まる。
心は〝セーラー服と学ラン姿〟面影があろうが変わっていようが親しみはそのままだ。

ただ今年は担任のO先生が昨年亡くなられたので〝先生を偲ぶ会〟として思い出を語る会となった。
この会が続けられたのは世話役さん達のおかげでもあるのだが、結局はO先生の人柄によるものだ。
やさしく暖かかった先生への熱い思いが、この日、各々の口から出た。

私も若い日、家に押しかけてはお酒をご馳走になり青臭い意見を吐いたりしたものだ。
とりわけ波乱万丈の日々だったから随分とご心配をかけたりした。
それを詫びながらのあいさつにも「どうしてた」「そうか!よしよし」「良くやってるな」と励まされもした。
いつしか私には11才年上の兄貴のように思えて甘えていたのだと思う。
先生が退職の時、ご夫妻を招いて定山渓で一泊のクラス会は忘れられない。

後年体調を崩され気力が薄れた時「旅行されるのは如何?」と云った時、目に光が戻り奥様と元気に各地を訪れたと聞いた時は嬉しかった。
その後のクラス会ではお酒は控えていたが笑顔を見せてくれていた。

奥様がこの通信を喜んでくれていると聞いていたのでその都度届けて玄関先で近況を報告することができた。
亡くなる数日前横になっている先生に励ましの言葉をかけられたのは僥倖と思えるが、只々寂しい気が続いている。

しかしそれでは喜んではもらえまい。
あの世で若い日の元気な姿で酒を酌み交わす夢をみよう。
そうした思いをもてるのも幸福なことと云えるのかもしれない。

合掌。