私の友人の小学校教師から聞いて驚いた。
今の子ども達の知能の発達段階は、昔と比べると30年遅れていると。
又「致知」2月号にはこんな文章が載っている。
近年、自国の文章が読めない日本人が増えています。子供は教科書が、大人は取扱説明書が読み取れず、内容を理解する以前に入り口でお手上げ。十年ほど前から国立情報学研究所作成のリーディングスキルテストが実施されていますが、事態は深刻です。
「致知」2月号より抜粋
出題例を挙げてみましょう。課題文として示されているのは中学社会科教科書の一部です。
「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。」これを読んで、オセアニアに広がっている宗教は何か、次の選択肢から選ぶのです。
〈ヒンドゥー教/キリスト教/イスラム教/仏教〉。
正解はキリスト教ですが、中学生ら受験者の約四割が間違うのです。結果が報じられたときは教育界に衝撃が走りました。キリスト教とオセアニアが有機的に結びつかない。知の断片化が起きているのです。文章が読めない理由として同研究所の新井紀子教授がとくに指摘するのは、知識というより読解力の劣化。次のテスト問題の結果を見ればその現実は一目瞭然でしょう。
「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある」。
この文章に関して、Alexandraの愛称は何かを選ぶ問です。その選択肢は〈Alex/Alexander/男性/女性〉。
この問題では、中学生の六割以上が誤答しています。正解のAlex(38%)より女性(39%)の方を選んでいるのです。
どうして中学生はそんな選択をしたのか。新井教授は、「女性の名Alexandraの愛称である」という文の主語が「Alex」であることを見落としているからと分析しています。省略された主語が読み取れないのです。
もう一つ、おそらくは「愛称」という語を知らないから飛ばして読んでしまう。そんな習性があるためではないかということです。
とにかく、SNSなどソーシャルメディアの急速な普及でまともな文章を読まなくなっている現状です。
かつては読書に親しむことで新たなボキャブラリーやいろいろな言い回しを自然に覚えたものですが、今やSNSで目にするのは切れ切れの片言隻句が大半。基礎的な読解力が不足するのも当然です。
最近では、逆説や皮肉、ウィットや諧謔なども通じなくなっています。落語や川柳、にわかなどの風刺に見るような豊かでしゃれた精神は、どうも電子空間では発達しそうにありません。「急がば回れ」と聞けば、早く成果を上げたければ面倒な準備は回避して、直接目標にチャレンジする意味だと、早合点する学生は意外に多い。「行間を読む」能力も失われています。
では、どうしたらよいか。方法は一つ、国語の時間だけでなく、数学や理科、社会科などの授業にもその教科の特性に応じた読解力の学習を取り入れた新たな授業への転換です。これしかありません。
読解力が備われば独りの力でも必要なテキストを読みこなして社会を生きる知見が得られる。読解力は自己教育力なのです。
最近は本屋さんは減り、本を読む人が少なくなっている。
もっと本を読む必要があるのではないかと思う。
