新聞で「高齢社」を知った。定年後の気力、知力、体力のある高齢者に”働く場”と”生きがい”を提供したいと設立されたようだ。実際、定年を迎えても元気な人は多い。毎日、ゴルフにカラオケでもあるまい。現役時代の経験や技術を活かして働くというのは素晴らしい。取引先の建具屋さん。”年金なんかじゃ食っていけない”と80才を過ぎても若い職人さんと汗を流している。気がつくと私も回りの人も定年等関係ないから死ぬまで働くのだと思っている。”腰が痛い、肩が重い”なんてグチをこぼし乍らも、大病もせず、毎日走り廻って”今夜のビールが楽しみ”と笑いあっている。面白いもので余裕があって後継者がしっかりしている人は駄目だ。「オレももう年だ」とつぶやき引退して2年も経つとすっかり老人になっている。
どうも人や金に頼る気持ちを持つと駄目なようだ。「年なんだから無理はよしなさい」と他人から云われ、そうかと思って自分の甘え心を納得させるとあぶない、あぶない。
「表面、人にやさしい手厚い社会は人を弱くするのではなかろうか?」介護保険法が制定された年から認知症患者が急増した。人間、頭も体も使わないとボケてしまうのは誰もが知っている。しかし人間は横着で怠け者だ。つい楽な方を選んでしまう。至れり尽くせりの竜宮城のような生活は浦島太郎の箱のように人をあっという間に老人にする。頭と体を使って一生懸命仕事に打ち込む。
「やさしい妻君はダンナを弱くするのかもしれない」
風邪気味で赤い顔をしていても”仕事に行ったら治る”と尻を叩かれている私は幸せ者なのかもしれない。
おげんきですか通信 H28年盛夏号 No.28より