「戦後っ子世代」という言葉が使われなくなって久しい。「団塊の世代」という言葉も。
それらはすべて高齢者となり、社会への影響力も薄くなってきたからだろうか。
ただその世代の私の青春時代は友も誰もが単純に「明日は、将来は良い時代になる」と感じていたのではないだろうか。
貧しかった幼い日々から高度成長のおかげで物が豊かになり「マイカー」「マイホーム」が当たり前になり「公害」「オイルショック」「米ソの冷戦」などいろいろな問題はあったけれどもそれらは克服され、物心両面豊かになり穏やかな平和な世界が来るのだと。

その単純な思いに陰りが出てきたのは科学の粋を極めたといわれた福島の原発事故以来ではないだろうか。
急速に「何故こんな世の中に」と慨嘆するほど、人の心が荒み、子が親を殺し親が子を虐待する。世界各地で紛争が起き、国と国との約束も平気で破られる。
「1国2制度」といわれた香港の現状はその一つの例。

今回のロシアによるウクライナ侵攻では国連が全く機能しない。
勇敢に戦っているウクライナの人たちを眺めているだけである。
しかし、攻撃される前に抑止することはできなかったのだろうか?
建物を爆撃され、民間人は殺され、嘆きながら避難する人たちを見ていると「話せばわかる」「外交努力で」といった言葉が虚しく思えてくる。

ロシア・北朝鮮・中国に囲まれている日本の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの生存を保持しようと決意した」という憲法の前文が疑問に思えてくる。
こういう文章を書くと「右翼だ」「平和憲法を守れ」の声に叩かれそうだが、本当にこのままでわれらの子や孫が平和に暮らせるのだろうか?
平和ボケの日本人も「国を守る」「世界平和の実現」のために、今こそ何をなすべきかを大いに議論すべき時なのではないだろうか?